イヌという生き物を研究する

そもそも永澤さんはなぜイヌの社会性について研究しようと思ったのですか?

愛ちゃん(辻村)もご存じのとおり、私はトレーニングが苦手なんですよ(苦笑)。もちろんトレーニングは必要なんだけど、イヌの素質として、トレーニングしなくてもコミュニケーションが取れるのではないか。P1060713例えば、行動学では、赤ちゃんはまっさらな存在だ、何かを教えてやらない限り何もできない存在だ、だから様々な経験を積ませることで、できあがるもんだと考えられていた時期があったようで。逆にどうにでも変えることができるってことで、いろんな、今考えたら恐ろしい実験がやられてたらしいんです。でも、人間はもちろん、生まれて持った遺伝的な要因もあるわけじゃないですか。例えば双子研究とかで、おんなじ経験を積ませても違う人格を持つし、逆にまったく違う境遇で育てても似たようなところがあることが分かっている。昔は氏か育ちか、と言われていたけれど、今は氏も育ちもと言われている。イヌのトレーニングに関しては、行動主義が色濃く残っていて、トレーニングしないとイヌはヒト社会で生きていけないんじゃないか、という印象を受けるんですが、イヌが生まれ持った遺伝的な素質があるし、生き伸びるために持っている能力がある。そこを理解した上でないと、トレーニングも上手く入らないだろうと、そのベースとなるイヌの認知能力を理解しないと難しいだろうというわけです。トレーニングしないための言い訳も入ってますけど(笑)

イヌがイヌになった大昔の生活環境と現代の生活環境というのは全然違いますよね、それを勝手に合わせろというのはイヌにとって難しすぎるんじゃないでしょうか?

 

たとえば、車に突進しちゃいけないとか、道を歩くときはリードにつながれていないといけない、といった現代に合わせたルールを教えてあげるトレーニングは必要です。ただ、イヌが本来何を理解できて何を理解できないのか、そこをちゃんと分かってあげないと、トレーニングしたから何でもできる、という訳でもないし、できないからこのイヌはバカだという訳でもない。そこをきちんと見直しておきたいんです。

例えば、イヌが吠えることって今の世の中ではすごく良くないことだと扱われていて、一言でも吠えたら罰せられることもある訳ですが、最近ハンガリーの研究者がイヌの吠えというのが非常に豊かなコミュニケーションの一つであるという考え方で研究を進めていて、そういうことを理解してあげないで、吠えたからダメ、と罰せられるのはどうなんだろう、と。例えばイヌのにおいを嗅ぐ能力や音を聞く能力は人間にはとても理解できないわけですよね。でもイヌの行動と吠える声は人間でも理解できるシグナルな訳ですよ。だから、うるさく吠えるのは良くない、でも吠えることに色々な感情が込められることを理解してあげないと、間違ったトレーニングをしてしまうことになる、こういったことを世界のイヌの認知学者は研究しているんです。

それはそのとおりですよね。私もトレーニングをしたからといってすべて人間の都合の良いようにイヌが育つわけではないと思います。私はドッグトレーナーですから、トレーニングを通して人間もイヌを理解しようとしたり、イヌに歩み寄ったりできるようになると思っていますが、永澤さんはトレーニング嫌いなので(笑)、その辺はお互い好きな分野で理解を深められれば良いと思います。イヌが何を理解できて、何を理解できないのかを明らかにしていくことはとても大切だと思いますので、ぜひ世界の認知学者に研究を深めていただきたいです。

永澤さんは、子イヌの研究もされているとお聞きしましたが、その研究についても少し教えてください。

うちの研究室は、マウスの研究もやっているんですが、主な柱は、幼少期母子関係が、成長後の気質にどんな影響を及ぼすかといったテーマなんです。齧歯類では、子供のころにいかに母親にお世話をされるかが、主に舐め行動なんですけどね、大人になってからの適応力に大きく影響することがわかってます。よく世話する(舐める)母親の子どもは、性質が穏やかだったり、大人になってから良い母親になる。そうじゃない場合には、非常に攻撃的になったり怖がりだったりする。また、大人になって子供の世話をしない。それは遺伝だけじゃなくて、里子操作した場合(世話をする母親としない母親を入れ替える)、世話をする母親に育てられた子供は世話ができる母親になる。つまり一代育て方を失敗すると、次世代、次々世代への気質に影響を与える連鎖が起きることが考えられるわけです。

それは遺伝子的要因が一緒でも、ということですか?

はい、そうです。

もう1点は、子供の時にストレス不応期といって、ストレスを感じない時期というのがあるんです。ラットの子供に、ペパーミントの匂いを嗅がした後に電気ショックを与える、という実験がありまして。そうすると正常な離乳時期と考えられる21日齢を過ぎた子ラットでは、ペパーミントの匂いを嗅ぐだけで恐怖を感じる、古典的条件付けが起きるんですが、8日齢まではその条件付けが起きないんです。で、おもしろいことに、12-15日齢では、母親がから引き離されたラットは15日より前でも条件付けできるんですが、母親と一緒にいる個体はその間は条件付けが起きない。ようするに小さい頃は巣穴の中でお母さんに踏まれたり、首根っこをくわえられたり、兄弟に踏まれたり、といったことが起きるから痛みに反応してしまうと、巣穴から逃げ出そうとしてしまい、逆に危険。母親の元を離れたら死ぬから、どんなことをされても母親の元を離れないような仕組みになってるんじゃないかと。21日齢以降は自分で餌を食べられるから、むしろ怖いものにきちんと条件付けされたほうが生き残れる。そして8日―15日齢は、餌も食べられるし、母乳も飲めるから、母親がいなくても栄養学的には育つわけですね。お母さんがいないというシビアな環境では自分で身を守らないといけないから、恐怖条件付けが入る。お母さんがいると、ストレスに応答するためのシステムの発達が遅れるようなんです。この違いが将来どのような影響を及ぼすかというと、痛みを痛いと感じるとストレスになる訳で、グルココルチコイド(人間だとコルチゾールというストレスホルモン)が分泌される。グルココルチコイドがあまりにも小さいうちにたくさん分泌されると、脳に影響を及ぼすわけで、そういう個体は将来怖がりになる。なので、できるだけグルココルチコイドがたくさん出ない環境で育てられた方が将来穏やかになる。つまり、穏やかな子に育てるにはなるべく母親と長くいたほうがいいと考えらえるわけです。ラット

 

 

 

それは他の哺乳類も同様のことが言えるのですか?

実はきちんと実験されてなくて・・・。

実験できないですよね?

そうなんです、倫理的になかなか実験できないんです(苦笑)

ただ、例えばアカゲザルでは、生まれてすぐ母親と離された個体と離乳まで母親と一緒にいた個体を群れの中に放すと、母親から離されていた個体は、他の仲間が怖くて溶け込めない、といった報告がされています。

で、イヌではそういった研究がされてこなかったので、まずはイヌにもストレス不応期があるかどうか調べようということになりまして。パピーに対して、子イヌの時にほんの数分間だけきょうだいや母イヌと離して違う場所に連れて行くというストレスを与える実験をしました。その時にキーキーキーキー泣き喚くんですけど、その前後のオシッコを取って、コルチゾールを測るんです。4グループに分けて、3週齢~6週齢のいずれか1回と7週齢で1回の計2回分離実験をしたところ、4週齢まではキーキー泣いてるけどコルチゾールが上がらなくて、5週齢からは上がり始めるという結果が得られました。だから、イヌでいう、母イヌに守られてストレスを感じない時期は4週齢までじゃないか、と。5週齢はすごく微妙で、ここは歯が生えてきて母乳を与えるのを嫌がる母イヌも多く、離乳食を食べ始める。なので母イヌがいなくても生きてはいける。ただ、ストレス値を見るとばらつきがあり、数値が上がるイヌと上がらないイヌがいる。それが母イヌの何に由来しているのかは今解析中です。ただ、マウスの結果から考えると、5週齢までは確実に母イヌと一緒にいるべきだと思います。

3179838455_5b0e4f43cc早い時期に子イヌを母イヌから引き離すことはあまりよくない、と以前から言われてきましたが、5週齢以下の時期に引き離すことで、ストレス値が上がり、脳の発達に影響を及ぼし、怖がりだったり、攻撃的だったりするキャパシティーの狭い個体に育つ可能性が高い、ということですね。ぜひこの研究が進み、イヌの母子分離に関して科学的に説得力のある時期が明らかになることを期待しています。

今日はお忙しい中、とても面白いお話を聞かせてもらってありがとうございました。また次回、新しいお話をぜひ聞かせてください。